HOME ホームへ戻る AIR Menu 飛行機メニューへ戻る VVS Menu ソ連軍機へ戻る

ハセガワ 1/48
ソビエト空軍 P-39N

1943年

2021年製作、
2021年撮影。
Made in 2021,
Taken in 2021.


 P-39と言えばポクルイシュキンが有名ですが、以前にエデュアルドで作っているので、今回はイワン・ババク大尉の乗機です。
 ババク大尉は1942年に軍曹として軍歴をスタート、最初は第45戦闘機連隊に配属されYak-1を駆っていましたが、43年の春からは部隊はP-39に改編、その後第100親衛戦闘機連隊の飛行隊司令としてP-39を駆っていました。その後ずっとP-39に乗っていましたが、45年3月13日に第16親衛戦闘機連隊の飛行隊司令に転出、3日後の16日に撃墜されて捕虜になりました。ババクが戦死したと思った第100親衛連隊の旧部下のドールニコフは、復讐を誓って、ババクの乗機だった機を駆り「ヴァーニャ・ババクのために!」とペイントして戦いました。それが説明書の②のほうのマーキングです。
 ババク大尉の公式記録は、撃墜40機(個人35+共同5)とされています。ほとんどがP-39での戦果だと思われます。

 P-39はイギリスでは能力不足とされアメリカに返却され、アメリカでもゼロ戦に全くかなわないとして非常に不評でしたが、ソ連では非常に高い評価を受けました。
 米軍ファンと日本軍ファンの認識ではP-39はとんでもない駄作機ですが、ソ連軍ファンの認識ではP-39はとてつもない優秀機です。(^^)

 P-39は1943年4~6月のクバン大航空戦で大活躍して数々のエースを生んでいます。ポクルイシュキン(59機撃墜)やレチカーロフ(61機撃墜)は、P-39が配備されてからは、45年までずっとP-39に乗っていました。La-7やYak-3ではありません、P-39でドイツ機をバタバタと落としたのです。(ただしポクルイシュキンは戦争後半は連隊長、師団長になったので空中勤務は少なかった。)
 結局、P-39は1945年のベルリン上空でもかなりの数が第一線で戦闘に参加しています。それほど、P-39はソ連兵に信頼されて愛用された戦闘機でした。

 塗装は米軍規格のため、下面はMr.カラー#13ニュートラルグレー、上面は#12オリーブドラブという指示ですが、以前アメリカ機を作ったとき、下面の色が暗すぎると思ったので、最近は、下面は#31アメリカ軍艦色で塗っています。黒立ち上げエアブラシ塗りなので、ベタ塗りよりは暗い色調になっています。

機体横の文字は
от школбниов МАРНУПОЛЯ
となっていますが、まるで外国人が書いた日本語、「し」と「レ」、「つ」と「フ」の区別ができずに誤字脱字だらけみたいに、お寒いデカールになっています。ハセガワもかなりいい加減な仕事をしていますね。
正しくは
от школьников МАРИУПОЛЯ で、意味は「マリウポリの学生たちより」(つまり献納機)です。












HOME ホームへ戻る AIR Menu 飛行機メニューへ戻る VVS Menu ソ連軍機へ戻る
inserted by FC2 system