T-34/85 国営第378オンダヴァラ・タミヤスキー工場生産型

 国営第378オンダヴァラ・タミヤスキー工場の「T-34/76 1942年型」の車体に多少の部品を付け足し、183工場製の1945年生産型85mm砲塔をお気楽に乗っけてしまったという恐ろしいモデルです。
 雰囲気だけはそれらしいモノに組みあがります。と言うか、あの大きな砲塔は、どんな車体に乗せても、たとえⅣ号戦車に乗せても、「T-34/85以外には見えない」モノにはなりますわな。
 問題点は以下のとおりです。

<砲塔>
・1枚式ハッチを持つ1945年型の場合、砲塔後面の手すりの位置はもっと下で、上の方には荷物取付用の金具が付く。初期型と混同している。

<車体>
・車体右側面の無線アンテナ基部は穴はパテで埋め、出っ張りは削除して平坦にする。
・キットの車体後上面パネルはT-34-76のままなので、両脇ボルトは4個になっている。正しくするには5個にし、車体後上面パネルと後下面パネルの結合ヒンジは3つあるが真ん中を削除して2つにし、跡にボルトを追加しておく。また、この3か所のヒンジのある部分の木口はキットでは凹んでいるが、これは1942年の試作車のみの特徴。埋めて凹みをなくす必要がある。キットのままの仕様はありえない。
・1945年生産車の場合、車体後部に発煙装置が必ずあるので、発煙燃料缶は欠損したとしても、エンジン室から伸びるパイプまで欠損している例はありえないため、自作する。
・起動輪ギヤカバーがエッジの立っているタイプになっているが、これは183工場製の六角砲塔搭載型の1942年春の一部のロットだけで使われたもの。エッジを削って丸くする。
・起動輪ギヤカバーの間にある牽引用の穴あき板は、112工場のみの特徴。このキットは183工場を模しているはずなので、混同している。
・車体前縁の角型前端部品は、丸型前端に重ね貼りしてごまかす方式。実車は角型鋼材そのものを使っている。重ね貼りでは厚ぼったくなるので、もう少しスマートにしたい。省略されている小さな角型金具を自作するとなお良い。
・省略されている波切板設置金具を自作すると良い。
・操縦手ハッチ前に跳弾板を追加する。タミヤT-34/76全般のエラーをそのまま引きずっている。
・筒型燃料タンクの注入口が缶の端にあるのは戦後型の一部のみなので、中央にする。タミヤT-34系列全般のエラー点。

<走行装置>
・転輪が1940年式となっているが、全くありえない。1945年型フルスパイダー転輪を他キットから流用する必要がある。
・誘導輪が1942年初期型となっているが、ありえない。他から流用するしかない。
・起動輪が1942年~1943年の型となっているが、ありえない。他から流用するしかない。

 早い話、80年代後半から90年代前半の「タミヤ乱心期」に、タミヤがT-34/76の車体にT-34-85の砲塔を乗っけて安易に発売してしまったキットで、可能な限りT-34-85の車体に近くなるようにはしているものの、当時からスケールモデラーにとっては「何コレ?」的な駄作キットとして有名でした。90年前後の戦車モデル氷河期は、タミヤはディテールや正確さよりも、お気楽またはディテールを省略しまくった、製造コストを抑えた新製品を続々発売していましたので、この時期の製品は要注意です。Ⅳ号J型のシュルツェンが付属していないとか、Ⅳ号H型のシュルツェンがステーにイモ付けなんて、信じられませんよね。旧キットのⅣ号H型では、引っ掛け金具がすべて付属していたのに。

 結果、タミヤの製品は組み立てやすく、モールド表現自体は非常に素晴らしい、おもちゃとしては秀逸な製品ですが、スケールモデルとしては苦しい製品となってしまいました。そうです、モールドがダルかったり、部品が合わないのは不評となりますが、面倒くさいモールドや部品は最初から「なかったこと」にしたり、間違っていても秀逸なモールドにしてあれば、知らない方々は不満に思わず、「素晴らしいプラモデル!さすがタミヤ!」状態となるわけです。
 そんな時代が続き、次第に当時勃興し始めたドラゴンなどにだんだんと水を空けられる結果となっていきました。90年代末期から、だんだん元のタミヤに戻ってきた感じです。

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